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「ビキニ被災」の立証と「原発被災」のこれから 太平洋核被災支援センター
- 2015/02/01
これらの漁船は、第五福竜丸ほどビキニに接近していなかったため、かえって死の灰にも気づきにくく、その後も操業をつづけて帰港した漁船である。大気・海水の汚染は実験回数が増すたびに深刻化していくので、体内被ばくをする危険性がきわめて高い。
操業海域と放射能汚染の関係を見ると、ビキニより東側で死の灰を浴びた記録がある漁船は45隻、ニューギニア周辺海域で38隻、フィリピン東方海域で2隻、ボルネオ南方海域からインド洋にかけて12隻、小笠原諸島北方海域で1隻、と計98隻である。西方の汚染に関しては100カウント以下の被災船は全体の75パーセントを占めているものの、東方では平均1800カウントと放射能汚染はひどくなっている。月別に被災漁船数を見てみると、1954年の11月が最高の162隻になっているが、12月に入ってもなお114隻もある。この年5月の「キャッスル作戦」最後の核実験から5ヵ月以上もたっているのに、10、11、12月の3ヵ月間の帰港被災船総数の方が前の3ヵ月間よりも多い。厚生省(当時)が12月で被災船の放射能検査打ち切ったのは大きな問題だ。
1985年から高知県の幡多高校生ゼミナールによる地域のビキニ被災調査によって、特に第5福竜丸とともにビキニ環礁の東方海域で操業していたマグロ船の乗組員に深刻な健康障害が明らかになった。1986年に高知・徳島生協病院の協力で行った「ビキニ被災者健康調査」では、事件直後に「脱毛」「頭に火傷」「耳が火傷」「顔が黒ずむ」「歯茎から出血」などの急性症状を訴える船員もいたが、その後5~60代で死亡した。特に室戸の健康調査では、18人中4人がガンで手術をし、10人が顆粒球減少症、11人が低リン酸血症、造血機能低下が著しいと診断された。
地球規模の放射能汚染をもたらし、日本にも放射能雨が降り、3月から12月まで、汚染マグロが廃棄され続けた「ビキニ事件」。 アメリカの行った水爆実験に日本漁船が被災し、被災の現場は日本から離れた太平洋上で、しかも放射能は見えないという極めて立証困難な「事件」だった。日・米の「政治決着」という戦後最大級の「国家機密」扱いにより、2013年に、ビキニ核実験のアメリカ公文書の降灰記録を基に南海放送が製作した「放射線を浴びたX年後」が映画館・自主上映によって全国に広がった。2014年にNHKが科学者チームによるビキニ被災船員の血液・歯の分析データを基に「水爆実験60年目の真実」を特集報道。全国で事件解明の取り組みが加速され、60年を経て因果関係立証の扉が開かれた。